2019年01月07日

テレビと映画の創作論(ゴーフ)

映画と違ってテレビは「ながら見」されるからしっかり見なくてもわかるように無粋な原作改変が行われる、的な話が流れてきたんで、それをダシに今日のブログ。
このことからテレビマンが矜持が足りないとか愛が足りないとか、普通は思うでしょう。
でも、俺からすると「中途半端に」矜持やら愛やらがあるという可能性も感じてしまうのですよ。
というのも、「テレビはながら見される」は正しいけれど、そこから「ながら見でもわかるようにすべし」に行くには飛躍があるわけです。

自分はテレビでもわりとしっかり見るタイプなんですが、俺の観測範囲にはストーリーわかってないのに見てる人とかいるんですよね。
より範囲を広げてみると、思想系の人のベストセラー本で「いまの人はストーリーなんか興味ない」的なことが書かれていたり、その本への反論として昔からそういう物語消費はされていたという証拠があげられてたりします。

つまり、ながら見でストーリーがわからなくても人は楽しむものだし、それでもストーリーをわからせたいというのは実に「中途半端な」矜持なり愛な可能性があるなと思うわけです。
まあ、ストーリーわからない人は見ないみたいな先入観から抜け出てないだけの可能性もありますけどね。

追記:いや、もし無粋なわかりやすさで視聴率が上がるっていう有意な調査結果あるならごめんなさいだけどな。
posted by 漢字中央警備システム at 23:07| Comment(0) | 日記(ゴーフ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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